完全復活のカベンディッシュ「僕のおとぎ話は諦めないことから始まった」、メルクスの34勝に並んだカベンディッシュの陰には、お手本通りの最強アシストの存在


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今年のツール・ド・フランスで最もインパクトを残した一人が、マーク・カベンディッシュ(ドゥクーニンク・クイックステップ)だ。エーススプリンター、サム・ベネットの代理として急遽召集されたスプリンターは、ここ5年はチームを渡り歩きながら結果を残せないでいた。特にここ3年は未勝利、36歳になり「もう終わった」と引退すら考えていたシーズンオフに、古巣のドゥクーニンク・クイックステップが拾う形で声をかけたのだ。誰がそこからここまでの大爆発を予想しただろう。
ツール・ド・フランス2021では、合計でステージ4勝を挙げ、偉大なエディ・メルクスの持つツール・ド・フランス最多ステージ勝利の34勝に並んだ。最終ステージで勝利を狙うも逃したが、それでもポイント賞ジャージもチームにもたらし、多大なる貢献を果たした。

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たらればにはなるが、脂の乗り切った30代前半に勝利を積み重ねていれば、ツール・ド・フランスでの勝利数のみならず、5年で60勝以上の積み重ねができたはずだ。しかし移籍した先で、勝利に恵まれなかったのは、ひとえに「組織力の差」だろう。さらには追い打ちをかけるようにウイルス性の感染症にもなり、調子が戻らないまま苦悩することとなる。「すべてを手にしたいたところから、一気に落ちていったよ。感染症にまでかかり、正直現役引退を考えたよ。」カベンディッシュはそう振り返る。
1流半ぐらいのスプリンターが、ドゥクーニンク・クイックステップ移籍で勝利を量産し、他チームに引き抜かれてのを見るのはもはや馴染みの光景となっている。しかしその多くが新天地で結果を残せずにしりすぼみになっていくのだ。カベンディッシュも移籍から勝てなくなり、低迷する時期が5年も続いたのだ。しかしカベンディッシュはここで腐らなかった。本人が「僕のおとぎ話は諦めないことから始まった」、と大会後語った通り、それでも現役を続けたことで、ベネットのバックアップ的ポジション、さらには昨年度大怪我をした次世代のエーススプリンター、ファビオ・ヤコブセンの穴埋めとして、まだいけると判断されてドゥクーニンク・クイックステップが声をかけたのだ。

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つまりはエースとしての出戻りではなく、あくまでも予備策として、単年契約で拾われた言う形だった。しかしツール・ド・フランスでの活躍の予兆はあったのだ。今年のツール・ド・ターキーでステージ4勝、さらにはツアー・オブ・ベルジャムでもステージ勝利と、復活の兆しを見せていたのだ。それでもツールメンバーには当初選ばれてはいなかった。「落胆した」と語っていたが、ベネットが怪我(シーズン終了後に移籍予定という話もあり)で急遽、カベンディッシュにチャンスが巡ってきたのだ。「正直スタートラインに立てるとは思ってもいなかったよ。」と語る通り、本人も予想外の形でのスタートとなった。
しかしマン島ミサイルは健在だった。完璧なお膳立て、特にミカエル・モロコフ(ドゥクーニンク・クイックステップ)のこれ以上ないライン取りとリードアウトから、誰もが「完璧」と語るステージ勝利で涙を流すと、そこからはもうご存意の通りの快進撃、チームワークが機能すればこれだけのことができるというお手本のような勝利を積み重ねた。そしてメルクスの偉大な記録にも並び、見事、完全復活を印象付けた。
やはりこの勝利の裏には完璧すぎるチームワークがあった。スプリントトレインを形成するタイミング、
位置取り、コース取り、ライバルたちを完ぺきに抑えてのコーナー、十分に人数を残しての残り1㎞からの勝負など、挙げればきりがないほどに「教科書通り」の組織力を見せつけた。これで勝利できなければ、「力不足」と言われるが、これをきちんと勝利に繋げるあたりがやはり勝負勘はまだまだ鈍っていなかったということだ。

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「僕も子供ができて変わったよ。彼らが成長していくうえで、それにとってのよい刺激になりたいと思ったんだ。また僕に憧れて自転車競技に飛び込んできたという世代にとっても、いいお手本でありたいと思ったんだ。でもここ数年は苦しかったよ。だけと折れない心の先には、まだ夢の続きが待っていたよ。」カベンディッシュはメンタルの強さで苦境を乗り越えた。
「最終日は僕のミスだよ。僕個人の判断でライバルチームのトレインに乗り換えたんだけど、あれは失敗だった。チームメイトたちのアシストを無駄にしてしまったことは申し訳ない。あれで勝利できていたら35勝でメルクスの記録を抜いて、気楽になれたんだけどね。」
あっという間に3週間が終わってしまったよ。まるで夢物語のようだよ。」カベンディッシュは35勝目を挙げていれば引退を考えていたようだが、越えられなかったことで契約の延長を視野に入れているようだ。マン島ミサイルの伝説はまだまだ続くのだろうか。
H.Moulinette