コラム:上に立つものの資質問われる、JBCF会長が参加者を公の場で「雑魚」呼ばわり、自転車愛があろうとも人の心を汲めぬ人間を上に立たせたJBCFの責任は?ネットリテラシーの理解と対策

全国ニュースでも流れたこの問題、自転車界にとって恥ずべき事態となってしまった。ことの発端は第1回東京クリテリウムのスタートでのこと、JBCF(一般社団法人 全日本実業団自転車競技連盟 )の安原昌弘理事長がスタート前の選手らに対して、「前の方の列に見たことないやついっぱい並んでるけど、大丈夫か? お前ら。コケんなよ、分かってるな。以上」と発言した。この言い方も高圧的と受け取られたのだが、ここで終わらず、更には2024年世界選手権トラックの男子スクラッチで金メダルを獲得した窪木一茂選手を呼びながら、「窪木、窪木選手、一番前に出てこい。お前ら、あけたれ。窪木先生、前に出てこーい! 雑魚ども、道あけろぉ!」と、暴言を続けたのだ。そしてそれがウェブに流される形となった。
昔から安原氏を知っている人からすれば驚く発言ではなかったのかもしれない。過去にもテレビ放送での失言など、もともと口が悪く、言葉の選択が適切ではないことが多いことは知られていた。フレンドリーに接したいという思いから、ノリで砕けた言い方をしたつもりなのだろうが、言葉というのは受け取る側がどう感じるかであり、発する側がどういう意図を持ったかではない。政治家の失言然り、あまりにも散見される昨今の権力あるものの失言の多くは、上から目線ともとられる物言いがほとんどであり、今回のそれは悪しくもそれらに乗っかる形となってしまった。
直接面識がない人に「雑魚」と呼ばれれば、少なからず世の大多数の人は「不快感」を感じるのは当たり前のことだ。これが立場の無い一個人の発言であったのであれば、ただの無作法、無礼な行為で終わるところだった。ただ今回の発言はJBCFという責任ある立場のトップが「公の場」で大衆を前に発言したことが問題なのだ。時と場所をわきまえない発言は、ただの失言で済ませることができない状況を招いてしまった。自転車界を知らぬものからすれば、JBCFも昨今トラブルが表沙汰になった多くのスポーツ団体同様に、こうした「人の気持ちを汲み取れない高圧的な人たちがトップの組織」という悪印象を持ちかねないだけに、今回の失言は本当に残念でならない。またようやく市民権を得られ始めている自転車ロードレースにとっても、今回の一件は極めて大きなマイナスになったと言わざるを得ない。
今回の大会は開催までに多くの年月を要し、ようやく実現にこぎつけたイベントだ。多くの企業、人の協力と根回し、尽力があってこそたどり着けたその最初の大会のスタートで、その全てに泥を塗るような発言となってしまったことは痛恨の極みだ。また安原氏が謝罪動画で「なぜああいう発言をしてしまったのか、今でも自分ではよく分かってない。」と釈明をしたのだが、ただ謝罪だけをすれば謙虚と受け取ってもらえる場がありながら、さらに「自分が発する言葉が相手がどう感じるかなど考えもしていなかった」、ともとれる言い訳を発する残念な謝罪動画となった。例えばだが、人を殴った男が、「なぜ殴ったのかわからない」、と発言をしたら、反省をしたと感じられるのだろうか、という事だ。これをそのまま流したJBCFの中にも、これをきちんと精査し、判断できる人間が一人くらいいなかったのだろうか。組織として言葉が与える影響を軽視、もしくは理解できていないのではないだろうか
また今回の一件では安原氏を擁護する言葉が輪界内部から出ているが、これも業界関係でない人達の目には、「暴言者を庇う組織」と捉えられかねないものであることを理解すべきだ。今回の暴言問題は、この大会としての問題としてだけではなく、「自転車界全体のイメージ」に関するものだ。それを公然と擁護することを容認してしまえば、全国各地で多くの方が尽力し広げてきた自転車界のイメージそのものにも影響を及ぼしかねないことをきちんと理解すべきだ。
今回の一件で、安原氏はJBCF理事長を辞任、更にはJCF(公益財団法人日本自転車競技連盟 )の常任理事を解任される形となった。この判断は妥当と言えるが、この責任を安原氏一人のものと捉えるべきだろうか?そもそもJBCFが選任している責任上、誰か一人として安原氏に発言の際は言葉を選ぶようにというアドバイスをしなかったのだろうか。安原氏をよく知るものであれば、予測できたことであり、事前にそのリスクを避けるための手段を講じるという事を考えた人間はいなかったんだろうか。そして今はネットの時代、誰もがそれを撮影や録音し、それがネットの波に乗ることを理解していなかったのだろうか。
残念ながらスポーツ組織は元選手や関係者ばかりが占めることが多く、「井の中の蛙大海を知らず」と言わざるを得ない。競技一本に打ち込んできたことで一般的社会的常識やマナーが乏しい人物、さらには時代を理解していない老いた世代が、責任ある要職にいることが見受けられるのもスポーツ界ではよくあることだ。今回の件の責任の一端は間違いなくJBCFにもあり、今後信頼回復に努めるとするのであれば、まずはネットリテラシーを理解するものと、しっかりとした言葉の選択をできる人間を組織内部に配置すべきだろう。自転車競技への理解を一般社会に理解してもらうことを促進していくためには何が必要なのか、競技の普及や裾野を広げるといった行動の前に、まずは言葉の選択という基本に立ち返ったところから始めていただきたい。
H.Moulinette