コラム:ツール・ド・フランス期間中に話題に上がった一酸化炭素吸引とは何なのか?パフォーマンス向上に影響はあるのか?現段階で選手組合も世界アンチドーピング機構も制限しないと断言
今年のツール・ド・フランスの最中、唐突に話題に上ったものがある。それが一酸化炭素吸引機の使用だ。果たしてそれは何なのか、多くの人が聞いたことなかった言葉に困惑した人も多かっただろう。まずはそれがなんであるかから知るところから始めなければならない。
一般的に一酸化炭素と聞いて多くの人が思い起こすのが一酸化炭素中毒だろう。これは血中で酸素を運搬する役割を担っているヘモグロビンが、酸素の200倍ヘモグロビンと結びつきやすい一酸化炭素がが体内に入ることで、酸素がヘモグロビンと結合できずに、血中酸素運搬能力が低下、これにより酸素不足となることだ。最悪の場合死を迎える恐ろしい状況となる。つまり一酸化炭素を体内に取り込むことは”毒”なのだ。
だがこのヘモグロビンと結びつきやすい性質を利用して、血中の的確なヘモグロビン量を計測するのに使われているのが、今回話題に上がった「カーボンモノオクサイドリブリーザー」と呼ばれる機械だ。これは適切な量の一酸化炭素を体内に取り込み計測することで、ヘモグロビンの量を計測する機械であり、医学や薬学の世界では普通に使われてきた機材であり、何も新しいものではない。
では今回これが各チームで何に使われていたのかと言えば、高度トレーニングでどれだけのヘモグロビン変動があるかを確認するために使われていたのだ。まず高度トレーニングとは、標高の高い場所、つまり酸素が薄い場所で体に負荷をかけることで、体内でヘモグロビン量が増加させるものだ。その結果ヘモグロビン量が増えると、酸素をよりおおく多く筋肉へ運搬できるようになるのだ。マラソン選手らが高地トレーニングを行うのもこれらが目的であり、特に持久力が問われるスポーツで行われるトレーニングだ。
今回高度トレーニングが効果的に体に作用しているかを確認するために、UAEチームエミレーツやヴィズマ・リースアバイク、イスラエル・プレミアテックなど数チームがこの計測器を使用していたのだ。具体的には、高度トレーニングの前と後で計測、どれだけヘモグロビン量が有意に変動したかを確認するために使用していたのだ。
今回問題視されたのは、この行為自体がパフォーマンス向上に寄与しているのではないか、ということではなく、これら機材を使うことで、選手たちの血中ヘモグロビン量を把握することで、ドーピングしやすくなるのではないか、という指摘から起きたものだ。つまりは具体的な数値がわかれば、ドーピングをしやすいのでは、という問題提起から発生した話題だった。
今現在の段階でWADA(世界アンチドーピング機構)やサイクリングタイムもメンバーとして名を連ねているMPCC(反ドーピング倫理運動)は、この一酸化炭素計測の行為自体が直接的にパフォーマンス向上につながるものではないとして、禁止を検討する予定すらないとしている。
だが、一部でささやかれているのが、一酸化炭素の摂取量を意図的に変えることで、パフォーマンス向上につながる方法があり、それを実行しているスポーツ(自転車ではない)があるという指摘がアメリカでなされていたことだ。この真偽のほどは定かではないが、火のないところに煙は立たずということからも、悪意ある使い方をされる可能性があるのではないかということだ。この方法では理論上は適切な量の一酸化炭素を吸引することで、最大酸素摂取量(VO2Max)を増やすことができる。ただ現段階ではWADAは「我々が把握している限りでは、悪意を持ってそのような行為が行われている形跡も証拠もない」としている。
ただ難しいのが、この血中に一酸化炭素を計測のためとはいえ入れるという行為自体が、WADAのルールブックにある血液の人工的操作に該当しないのかというところだ。今のところ「計測システム自体が医学・薬学界で20年以上の実績のあるものであること、パフォーマンス向上のために行われているものではなく、トレーニング効果数値確認のため」という目的がはっきりしているだけに、規制対象にはなりえないということだ。
果てしないドーピングとのいたちごっこは人間のあくなき探求心と欲望の先にあるもの、人の限界を超えた先に待つものが不名誉や苦難であっても、人はその誘惑に抗えない生き物でもある。時代と共に複雑化するドーピング、今回のレースシーンでその可能性は極めて低いものの、これからの時代も常に我々はいろいろな可能性と事実に向き合っていかねばならないのだろう。
H.Moulinette