コラム:日本の草レースで多発する死亡事故、どの趣味競技よりも死者が多い理由とは?「簡単に入手できるF1」でも操縦者の腕前に警鐘、楽しむために持たねばならないリスク回避という勇気
先日行われたツール・ド宮古島で落車死亡事故が発生した。日本の草レースシーンでは毎年のように死者が出ており、主催者側の安全管理に関する声も上がるが、果たしてそれだけのことで片づけられる問題だろうか?趣味イベントでの死者という観点からいえば他競技に比べ圧倒的に多く、このままではイベントの開催自体が危険視、当然道路使用許可や自治体の参加尻込みなども予想される。
簡単にプロ機材が手に入れることができることから「簡単に入手できF1」とも言われ、憧れのプロ選手、プロ機材が購入できてしまう数少ないスポーツは、このスポーツの一つの魅力となっている。しかしそれは同時に、技量の伴わない者がモンスターマシンを操るのと同様で、つまりはそのマシンを乗りこなせず、マシンに乗られている、というのが実情ではないのだろうか。
ある元プロ選手も警鐘を促している。「日本の草レースではありえないところでありえない落車事故が起きる。現状の草レースは危険が多すぎる。」と語る。
「最高級の機材で気持ちが大きくなり、プロの真似事をするから重大事故が起きる。プロのマシンを乗りこなす人間はそれに見合うだけの時間と労力を磨いてきている。それを素人が乗りこなそうと思っても乗りこなせるわけがない。」としている。
「日本のレースでは、海外のレースの物まねをする人が多い。プロはトレーニングであのスピードであの近距離で集団走行ができる。そしてもう一つはスピードコントロールも技量が伴う人間が集団で走るからこそ成立するんだ。技量がバラバラ、しかも伴っていない人間が狭いコースで走ればそりゃあ接触と落車は増える。危険を理解していないわけではないのだろうが、言い方はきついが”憧れの選手ごっこ”をする人が多すぎる。それが自分の身を危険にさらし、さらには他の人の命まで危険に晒すのだとしっかりと理解してほしい。」
厳しい言葉だが、プロの戦場をくぐってきた人間の言葉は重い。確かに普段街中で買い物をにしか車を使わないドライバーがいきなりF1に乗って華麗に運転できるだろうか?それと同じことで、練習量も技量も伴わない者がプロのマシンでプロ並みのパフォーマンスを発揮するのは無理なことだ。またプロは落車の際にも受け身を心得ている。これもハードなトレーニングと経験からくるものだ。どうしても楽しみたいのであれば、それこそ一人誰もいないところで「自己責任」で満喫して陶酔すればいいのだ。それこそ「趣味の域」の本筋と言えるだろう。
ただこれがイベントでとなれば別の話だ。高速で走行、さらには薄いジャージのみでプロテクターはなし、そんな状況下でプロの真似事で自らの技量を誇示したり試したりするのはただの危険行為になり兼ねないのだ。
朝出かけていくときに「いってらっしゃい」と見送った人間からすれば、たかが趣味のイベントに出かけただけで、愛する者が声をかけても二度と応えぬ形でが帰宅するとどれだけの人が思うだろう。そんなリスクがあるのであれば、参加させるべきではなかった、そう思うだろうし、「自転車レースは危険」と心底思うだろう。趣味の結果残される羽目になったものの苦しみはどれほどのものだろう。
プロは生業としている立場上、ある程度のリスクは折り込み済みであり、それも仕事の一部だ。ただ趣味となる場話は違う。どの趣味でも、リスクは積極的に回避するものであり、回避できるものだ。プロのように選手生活や生活を背負っていないからこそ、容易に回避という選択ができるのだ。それが現状国内の多くの草レースを見ていれば、危険極まりない状況を数多く見かける。これは主催者側の問題ばかりがフォーカスされ、コース設定に問題があった、危険性を予見できなかったのか、などと言われるが、それ以上に走る側の「心がけの問題」だ。
レースの現場では、同じ趣味の仲間が大勢集まる。そうなればウキウキして高揚し、楽しくなってしまうのはわかる。童心に返ったようにはしゃいでしまったり、挑戦心をたぎらせてしまうのもわかる。でも結果それが場合によって他者や自らを傷つけ、大切な人を悲しませるようなことになっては本末転倒だ。それはもう趣味ではなく愚行となってしまう。
ではどのようにレースを楽しむべきか、それはまず「自らの技量を過信しない」、「不用意な接近戦をしない」などリスク回避をすることを勇気をもって行うことだろう。リスク回避は決して逃げではない。勝負にこだわるのは生業としているプロに任せ、誰も傷つけることなく楽しいサイクリングを楽しもうではないか。それでこそ余裕をもって楽しめる趣味の王道となれるだろう。
H.Moulinette