一台の自転車が伝えてくれること:平和への願いと当たり前の日常への感謝
たった一台の自転車の写真、そこには僕らが日常では感じ得ない、考える事のない、世界があった。書くことを何度となく躊躇した。でもどうしても誰かに伝えたくて書くことを決めた。
この一台の自転車、何の変哲もないこの自転車の所有者はもういない。この自転車の所有者は手術台の上で帰らぬ人となった。アフガニスタン、クンドゥーズでアメリカ軍が人為的ミスで誤爆した国境なき医師団の病院で、まさに手術の最中だったのだ。その際の爆弾の破片が直撃、即死だった。行われたのは爆撃だけではなかった。機銃掃射が行われ、逃げ惑う医療従事者、患者たち、市民の上に容赦なく銃弾が雨のように降り注いだのだ。
父が毎日の様に仕事に行くために使っていた自転車を、娘達は見つけ、なんとか持ち帰ってきた。娘達は泣きながら自転車を洗った。父親の消息はつかめないまま無情にも時間だけが流れた。妻は怪我人が運ばれた病院、病院関係者、現地入りした軍関係者などに何日も夫の行方を訪ね歩いた。病院自体が大きく損傷し崩壊する可能性があることと、攻撃の意図がはっきりしない事もあり、怪我人の手当が優先され、遺体の回収は思ったように進まず、また損傷が激しく身元が特定できないものも多かった。
そして探し歩く妻へ一本の電話がかかる。それは顔なじみのパン屋からの電話だった。
「もう探さなくていい、あなたの夫は丘に埋葬した。」
後に戦場カメラマンが撮影した写真の中から、父親の写真が見つかったが、それはとても娘達に見せられるものではなかった。家族に残されたのは、最後まで父親が愛用した自転車だった。
娘達は母親に手を引かれ父親が埋葬された丘へ向かった。そして泣き崩れた。
「お父さんがいつも使ってる自転車ちゃんと洗っておいたよ。起きて。もう家に帰ってきて。」
僕らは平和な毎日の中で、自転車に当たり前のように乗り、楽しむことができる。そんなことへの感謝の気持ちを忘れてはならないと改めて実感した。
Photo&interview:Andrew Quilty
H.Moulinette