3度目の正直か?コンタドールが再び引退を宣言、ブエルタが最後のレースになると公言、ツールでの結果に限界を感じて引退を決断へ
アルベルト・コンタドールが三度引退を表明した。以前は引退を撤回、チームを移籍してレースを続けたが、ツール・ド・フランスでの自らの走りで限界を感じたようだ。ツール開幕前は、2018年度の契約更新に関しての話も出ていただけでなく、来シーズンはツールではなくジロをターゲットにするという話も出ていたが、やはりツールでのフルーム、そして若手選手たちに対しての完敗は、元王者の心を折るには十分だったようだ。まだまだステージ勝利を狙えるだけのポテンシャルはあったにしても、グランツールライダーとしてはやはり総合優勝を狙えることこそがその役割であり、それが出来ない時点で自らに課せられた役割をこなしきれないと判断したようだ。
「皆さんに2つお知らせがあります。まず一つ目はブエルタ・ア・エスパーニャへ出場するということ、そしてもう一つはそのレースが僕にとって人生最後のレースとなることです。僕はこの発表ができることを嬉しく思います。一切の悲しみはありません。これはじっくり熟考した結果です。僕ん最大のレースで引退の花道を飾れることが一番の幸せだと思います。この最後の3週間は最高の時間になると思っています。」
まだ34歳、脂の乗り切った世代に思われるが、グランツールでの総合系とはそこまで肉体を酷使するものなのだろう。2003年にプロデビューしたが、その2年後にレース中に落車し痙攣、診察の結果脳海綿腫と診察され、手術を余儀なくされた。しかしそこから8ヶ月後には復帰、一気にスターダムへの道を歩み始めたのだ。そして2007年には移籍したディスカバリーチャンネルのエースとしてカデル・エヴァンスを23秒抑えてツール・ド・フランス初優勝を果たした。しかしその後移籍したアスタナがツールへの出場を禁止されてしまうが、それを見返してやるとばかりにジロ・デ・イタリアとブエルタ・ア・エスパーニャのダブルツールを達成するなどさらなる飛躍を遂げた。
2009年には2度目のツール・ド・フランス制覇、アンディ・シュレクらと一時代を築いた。しかし本人が最後まで意図的な摂取を否定、食肉汚染による摂取だといい続けたクレンブテロール検出で2年間の出場停止(遡って戦歴抹消)となるなど、波乱を乗り越え、再びグランツールを制覇し、王者健在を見せつけた。しかしここからは優勝候補に挙げられるも結果が伴わず、最後のグランツール勝利は2015年のジロ・デ・イタリアまで遡らなければならない。そこからは若手の台頭やハイスピード化するレーススタイルへのアジャストに苦悩、、2015年、2016年と2度の引退宣言と撤回宣言を繰り返し、今回3度目の引退発表となった。
もし今年のブエルタで圧倒的な強さで総合優勝を飾れば、来シーズンも現役続行を三度宣言する可能性もあるが、今の現状を考えればそれはかなり非現実的になってきているのかもしれない。
H.Moulinette