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2007/11/24 16:06

ツール・ド・おきなわ2007 シニア50km 優勝/鈴木雅彦レポート

昨年のリベンジ成功 必ず勝つと決め過ごしてきた1年の成果


鈴木雅彦( Team-DADDY)
『鈴木雅彦( Team-DADDY)』
私がツール・ド・おきなわ参戦レポートを書かせて頂くのは、昨年に続いて2回目となりました。昨年の市民50km3位から1年。リベンジに向かって私がどうトレーニングしたか、そしてどう戦ったかをご紹介させて頂きます。

今回、私が参加した種目は新設されたシニア50kmレース。ちなみに今までのツール・ド・おきなわでの成績は以下のとおりです。

2004年 市民50km 4位(年齢別1位)
2005年 市民50km 5位(年齢別1位)
2006年 市民50km 3位(年齢別2位)

毎年あと一歩のところで及ばない。どうしても表彰台の真ん中に立ちたい。そして、あの大きな優勝カップで、チーム員に酒を飲ませてやりたい。今回は、その夢を現実にする為に沖縄に乗り込みました。

8年前に始まった夢

私が沖縄に始めて来たのは、1999年だったと思います。当時、私は競輪選手でした。 チームの監督として200kmを走る選手の補給サポートが目的でした。普久川ダムの補給所に待機し、チーム員に対する補給はもちろんのこと、個人で参加する選手にも懸命に補給のお手伝いをさせていただきました。
その時の私の心には、チームの枠を超えて「完走してくれ」と祈る気持ちでいっぱいだった事を憶えています。
そして帰路の車中、携帯電話でチーム員の完走を聞くと涙が止まりませんでした。そんな感動を与えてくれた「ツール・ド・おきなわ」に選手として参加したいと思う気持ちは、年々強くなっていきました。

ヘルニアと腰痛に悩まされる身体で

5年前に競輪選手を引退してサイクルショップを構えた私には、現役当時のように自由に自転車に乗る時間はありません。そして、20年間現役を続けた体はボロボロ。医者からは「運動をしてはいけない。」と言われるほどのヘルニア腰痛に悩まされる毎日。今回も、参加一週間前だけでもスポーツマッサージ1回、針治療2回と腰痛対策を施しての参加でした。

今回の大会に向けての準備についてお話します。とにかく「勝ち」にこだわる。1位以外は全て負け。入賞なんてまったく興味が無い。それが私のスタイルです。入賞なら運が良ければ獲れる事も有ります。しかし、「勝つ」と言う事は、力も知恵も展開(運)にも、全てに完璧でなければなりません。

コツコツと努力することの苦手な私は、言い訳のきかない状態まで追い込まれない限り努力をしない怠け者です。2006年大会を終え、年末まではゆっくりと過ごしていました。その結果、体重は68Kg台から72Kg台へとじつに4kgの増加。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」あの悔しさは何処かへ行ってしまったかのように、情けない身体になってしまいました。

しかし、2007年になった事で追い込まれた気持ちが沸いて来てトレーニングを再開。年明けからLSD(ロング・スロー・ディスタンス)練習に取り掛かり、徐々に体を絞りました。
もちろんLSDだけでは筋力は落ちてしまいますので、その対策も行いました。
レース勘を鈍らせないためにも、通常なら6月頃からしか出ないレースにも4月から出場し、好成績を残す事が出来ました。

また、今年の夏は暑かったので、暑さに弱い私はあえて自転車に乗る事は避け、ゴールスプリントのための筋力トレーニングに時間をあてました。
そして涼しくなって来た10月に乗り込みを開始しました。乗り込むと言っても仕事があるので時間は限られています。
日曜のチーム練習会で70〜100km程。ウィークデーの朝3〜5日を35〜50km、そして夜の練習を週1〜3回35〜50km、合計で週間300〜350km程のトレーニングを行いました。
出場するレースは50kmのため、一度にたくさんの距離を乗り込む事はしません。またそんな時間もありません。
そのためトレーニングは50kmを徹底的に早く走るためのトレーニングに専念しました。時には、国道を走るトラックが練習相手でした。とにかく速く走る。誰にも負けない速さを身に付ける事が目標でした。
そして11月。昨年の同時期に比べ、筋肉量では0.1kg増、体脂肪量は2.0kg減、1月から6kg減の身体を作り上げました。

プリンスカーボンを実戦投入

鈴木雅彦( Team-DADDY)の愛車、ピナレロプリンスカーボン
『ピナレロプリンスカーボン』
今回使用した機材は以下の通りです。

・バイク:ピナレロ・プリンスカーボン
・パーツ/カンパニョーロ・レコード
・ホイール/マヴィック・コスミックカーボンSL
・使用ギヤ/フロント50×38T、 リア12〜23T

フレームは以前ピナレロのパリカーボンを使用していましたが、7月からはプリンスカーボンに交換しました。
特に登りのパートでは踏みが軽く、今回も逃げのポイントとなる登りのスピード維持に非常に有利なアイテムとなりました。ホイールの選択は平地での巡航性に勝るコスミックカーボンSL。
そして、ギヤの選択も非常にシビアに行いました。普段レースで使用しているギヤはF:50×36T、R:11〜21T。しかし、昨年のおきなわでのゴールスピードは58.8km/h。その昨年のデータから、53×13T(4.077)のギヤで114回転で走っていることが分かる。

つまり、それ以上に重いギヤは必要ない。ゴール前の最大スピードを60km/hと仮定し、トップギヤを50×12T(4.166)に設定。これでゴール前にシフトミスで失速する危険もなくなり、スプリントに集中しやすくなる。

レース前日はコンビニパスタ

14時に名護に到着。受付を済ませて自転車を組み立て、すぐに下見に向かう。道路の危険箇所(コース取り)や、仕掛けのポイントになるであろう場所を頭にインプット。頭の中でレースを作り上げていく。夜はもちろん炭水化物中心。野菜や肉などの胃腸に負担のかかるものは極力食べない。
しかし、なかなか好みの飲食店は見つからない。仕方なくコンビニパスタ2皿で食事を済ませることに。

逃げる作戦

シニア50kmのスタート
『シニア50kmのスタート』
スタート時間は7時5分。4時半に起床。食事はホテルの食事ではなく、必ず自分で用意した物を食べる。起きて直ぐにバナナを2本とパワージェル1個を摂る。
5時、ウォームアップオイルを足に塗りこみ、ウォームアップに出発。40分ほどのウォームアップを済ませ、更にバナナ1本とパワージェルを1個補給。ポケットには小さなボトルに移し変えたカーボショッツ、ボトルにCCDドリンク1本とミネラルウォーター半分を準備してスタート地点に向かう。
エネルギージェルを摂ったときに、スポーツドリンクで流し込むのは良くない。浸透圧が変化し、水分の吸収が悪くなるからだ。その為にミネラルウォーターも必需品。

6時15分頃に会場に着くと、すでに整列が始まっていた。ゼッケン401番(シニア50kmは400番から)の私は、遠慮なく最前列に並ばせていただいた。スタートまでは、とにかくリラックス。暇さえあればストレッチやブルブル運動。筋肉が硬くなっていたのでは力は発揮できない。

今回の作戦は、ズバリ「逃げ」。もちろん自分の得意はゴールスプリント。しかし、コースが単純で集団が大きなままのレースでは、ゴールスプリントで何が起こるかわからない。
安全な小集団でのスプリントに持ち込むために、あえて逃げを選択。そして、チームメイトとも綿密な打ち合わせ。出来れば5人〜10人の小集団でゴールスプリントに持ち込みたい。今回の最大のライバルは、前回の覇者である岩瀬選手。昨年はまんまと逃げを決まられてしまった。今回はそうはさせたくない。チームメイトに、常に目を離さない様に指示しスタートを待つ。

昨年覇者岩瀬さんと2人旅に

ゴールスプリントは鈴木雅彦(
『鈴木雅彦と岩瀬一憲の一騎打ち』
7時5分、レースはスタートした。最前列からダッシュしスピードを上げた。力のない選手を振るい落とすためだ。しかし、それが無駄だとすぐに気づいた。後を追う選手が居ない、まったくの一人旅。 振るい落としを諦め、足を貯める事に。

リゾネックス名護を過ぎて海岸線に出てしばらくすると、2名の逃げが発生。よく見れば、要注意人物の岩瀬選手。しかしここは強烈な向かい風。このまま泳がせて足を使わせたほうが得策と判断し、無理に追うなとチームメイトに指示。このまま行っても、本部のスプリントポイントでスピードが上がり吸収される事は目に見えている。まもなく岩瀬選手は合流した。そしてもう一人もスプリントポイント付近で吸収された。

本部のスプリントポイントを過ぎるといよいよ登りが始まる。実はここでチーム員と逃げに出る作戦だった。しかし先に動いたのは岩瀬選手だった。30km/hを超えるスピードでグイグイと登って行く。「しっかり付けろ」とチームメイトに指示をするが、力が違いすぎて付いて行けない。

仕方なく私が直マーク。彼の登りのスピードには誰も付けない。水族館付近では既に2人だけになっていた。
下りに入ると5名ほどが追従し、7名程度の小集団が出来た。作戦通りだ。どんなメンバーが付いているか確認する為に一旦集団最後尾まで下がったが、そこにはチームメンバーの姿はなった。
2番手は昨年4位の西丸さんだ。今年も気合が入っている。しかし次の登りが始まると2番手の西丸さんが遅れ始める。3番手と4番手の選手も追走する力も無く、小集団は離れ気味。
あわてて岩瀬選手に付き直し、残り30km。そこから先は二人旅だ。

この時、私には幾つかの選択肢があった。
1.いったん集団に戻り、一人で脚を使わせてから捕まえてゴールスプリント。
2.チームメイトの合流を待ち、小集団を再結成してゴールスプリントに持ち込む。
3.このまま2人で先頭交代をして逃げる。そしてゴール勝負。
4.このまま先頭交代をせずに足を貯め、もし捕まった時のゴールスプリントに備える。
 鈴木雅彦( Team-DADDY)がゴールスプリントで岩瀬一憲(ナカガワサイクリング)を下し優勝
『鈴木雅彦がゴールスプリントで岩瀬一憲を下し優勝』
2位でゴールする岩瀬一憲(ナカガワサイクリング)
『2位でゴールする岩瀬一憲』
メイン集団のゴールスプリント
『メイン集団のゴールスプリント』
メイン集団のゴールスプリント。3位は長谷川毅彦(ウインドフレンド)
『3位は長谷川毅彦(ウインドフレンド)』
しかし岩瀬選手のスピードを見ていると、到底1や2は有り得ない。昨年も一人で逃げ切っている。目を放すことは必ず致命傷になる。残された選択は3か4。4は汚いと思う人も多いかと思うが、それは間違い。レースは駆け引きだ。相手の心を読み、勝つための手段を選ぶのがレースだ。
スプリンタータイプの私は、集団でのゴール勝負も辞さない気持ちで居る。このまま行こうと、吸収されようと、どちらに転んでも優勝の可能性は残っている。しかし先頭交代で足を使えばその可能性は低くなる。かたや逃げている岩瀬選手は絶対にゴール勝負はしたくないと考えている。だから逃げている。つまり、岩瀬選手は私に抜かれても最低2位。そして私を振り切れば優勝と考えているはずだ。そこから、タイプのまったく違う者同士の二人旅が始まった。そして、持病の腰痛との戦いも始まってしまった。

小刻みにギヤチェンジを繰り返し、一定のリズムで進む岩瀬選手に付いていて全くの不安がない。不安がないどころか、このまま置いて行かれるんじゃないかと思うくらい力強い。
おまけに「代われ」の合図も出さない。今帰仁の街に入ると岩瀬選手から声がかかった。
「鈴木さん、ボトルをもらえますか...」。見れば彼はノーボトル。
「水で良い?スポーツドリンクにする?」。あわててボトルを差し出した。
「水で良いです」。飲み終わったボトルを私に返すと、またペダルを踏みなおした。彼は怒っていない。私がこのまま勝ってもかまわないと思っている。そう思うと、心の荷が一つ下りた。

申し訳ないが勝ちに行った

間もなく二人は、今帰仁のスプリントポイントへ。もちろんポイントは彼に譲る。しかし、ここまで来たらどうしても彼に2着に残ってほしいと言う気が湧いてきた。スプリントポイントを超えた所で、初めて私が前に出た。そこまで足を使っていなかった私には簡単な坂だった。後ろを気にすると、岩瀬選手が若干離れ気味。このまま行く訳には行かない。
自分のペースで踏んだ方が楽だろうと、彼が前に出るのを待った。そして彼はペースを取り戻した。付いているだけの私だったが、腰痛は楽ではない。腰に手を当て、姿勢を変え、ストレッチを繰り返し、懸命にペダルを踏んだ。

ついに国道58号線。羽地の交差点からは残り8.2km。集団は見えないが、それだけに心理的に不安になる。何度も何度も後ろを振り返る。先頭交代したいが、勝つためにはギリギリまで力は使えない。そして二人は最後の直線に向かって行った。

おきなわで勝つ。ただそれだけの為に1年間頑張って来た。ありとあらゆるパターンを想定し、トレーニングを積んできた。ここまで引いてくれた岩瀬選手には本当に申し訳ないが、相手の心理、力を利用するのがロードレース。最後のスプリント勝負に持ち込んだ私が勝ち。

ラスト200m。

一気にペダルを踏み込んで、彼の反応を伺った。彼は反応しなかった。

そして、両手を挙げての優勝ゴール! ついに、悲願のツール・ド・おきなわ優勝の瞬間を迎えた。


走り終えて…

優勝の鈴木雅彦( Team-DADDY)、2位岩瀬一憲(ナカガワサイクリング)、3位長谷川毅彦(ウインドフレンド)
『優勝の鈴木雅彦( Team-DADDY)』
チーム員と優勝カップでビールを回しのみ。夢に見た瞬間だ
『チーム員と優勝カップでビールを回しのみ』
優勝と言う目標は達成したが、レースを終えた直後の心境は複雑だった。岩瀬選手には完全に力負けしていた。私は彼に何度も頭を下げた。しかし、岩瀬選手と話をしてみてその心も晴れた。彼曰く、
「ゴールスプリントは避けたかった。3位までで良いから誰か付いてくれたら逃げるつもりだった。鈴木さんたちが3人で逃げそうな雰囲気だったので、付いてくれないかと思って仕掛けた」。

そして、前を引かなかった事に対しても、
「全然なんとも思っていません、3位で良いと思っていた私と、絶対優勝したいと思って走っている鈴木さんの差ですよ!」と言ってくれたのだ。流石に昨年の優勝者。レースを良く知っている。その言葉をもらって、とてもすがすがしい気持ちで表彰台に上る事が出来た。

何度も言うが、レースは力だけでは勝てない。力も知恵も展開(運)も完璧でなければレースには勝てない。それが、ロードレースの醍醐味だと私は思う。

来年は何を目指す?

ヘルニア腰痛持ちの私は、長い距離のレースを走る事が出来ません。挑戦してみたい気持ちはありますが、おそらくレースにはならないでしょう。来年もやっぱり50kmを走ります。そして、今度は自力で逃げたいですね。その足を作る事が来年の課題です。

最後に、毎年この素晴らしい大会を支えて頂いている全ての皆さんに「本当に、ありがとう御座います」と感謝の気持ちを送りたいと思います。


・パーソナルデータ
年齢 44歳
身長 172cm
体重 66kg
安静時心拍数 34拍/分
最大心拍数  189拍/分

・今回のデータ
平均心拍数 147拍/分
最大心拍数 174拍/分
平均ケイデンス 98rpm
最高ケイデンス 121rpm


鈴木雅彦(すずき まさひこ)Team-DADDY
1963年2月生、44歳。高校生当時から自転車競技を始め、高校卒業後競輪選手になる。
1993年「Team-DADDY」を立ち上げる。
その後、チーム運営の為に「サイクルショップDADDY」(岐阜県瑞浪市)の経営を始める。
2002年、20年間の競輪選手生活を終えショップ経営に専念するも、弱小化するチームを立て直すべく一念発起。
2003年、再び「趣味の域」として選手生活を再開。現在はアマチュアレーサーや競輪選手志願者などの指導育成をしながら、己らアマチュアレーサーとしてレースやサイクリングを楽しんでいる。ホームページはサイクルショップDADDY


ツール・ド・おきなわ2007 シニア50km フォトギャラリー

text:Masahiko.SUZUKI
photo:Hideaki.TAKAGI
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