どこへ行く機材開発?最先端とユーザーとの乖離、誰のための開発?一昔前のプロトタイプ製造カルチャー復活で、メーカー主導開発品を押し付けられるエンドユーザーの構図?互換性はどこへ?

昨今の技術開発は眼を見張るものがある。最先端の素材、最先端の技術、最先端のテクノロジーの推移を集めた機材が惜しげも無く投入される時代が再び訪れている。しかしそこにはエンドユーザーよりもレースなどでの結果重視、製造コスト削減で利幅増加のための利益重視など、様々な問題点が垣間見える。
29インチがマウンテンバイク界に登場した際は、メーカーがこぞって参戦、実際には体格的にも無理がある選手たちまでもが、その”メリットだけを謳う”企業の宣伝文句に踊らされタイヤに挟まれたような不恰好の姿を披露した。またその後、大きすぎたことで合わないというケースを補うために中間層の650bが登場、厳密に言えば従来規格を流用しただけなので、新しい規格ではなかったが、メーカーはこの推し進めに懸命となった。長年主流であった26インチの”衰退”という思惑は、起こるべくしておきたわけではなく、メーカーが開発が出尽くして新たな金づるが必要となったための”誘導”でもあったのだ。この事自体は企業として問題はない。利益を追求するにはビジネスとして当たり前だ。しかしながら、長年業界を支えてきたエンドユーザーを放棄するようなやり方には問題がある。突然のサポート終了や補充パーツの製造中止、買い換えろと言わんぞとばかりのメーカーのスタンスに、それを復唱するだけのショップの多さ、一体誰が支えてきた業界なのかを疑ってしまう。

『最強のプロ機材、メーカーの開発力が注ぎ込まれている (C)Tim D.Waele』

『専用品のブレーキ、選択肢はない (C)Tim D.Waele』
昨今ロードでの開発が加熱する中、ドーフィネで登場した新型のトレックの車体には様々な技術が惜しげも無く投入されていた。最先端の空力、最先端のテクノロジー、勝つための機材の決定版として、同じくツールではスペシャライズドも新型機を発表している。
これらは究極のプロ機材としては当然であり、勝利のために企業努力をしている証ともいえよう。しかし過去に何度となく同じようなことが繰り返された挙句、一部の金満企業の開発だけが爆発的に進むことを危惧して制定されたフレームに関するUCI規定(前三角と後三角で構成されるダイヤモンドフレームなど)、その盲点を付く形で推し進められる開発は、今後再び規制の対象となりかねない。
結局のところ、一般ユーザーと機材メーカーの距離は、今現在想像以上に乖離してしまっている。名前だけ貼り替えのメイド・イン・チャイナ製品が増加(例えば中国のOEM生産でヨーロッパで塗装をするとメイド・イン・ヨーロッパとなるからくり)、ユーザーフレンドリーではない商品が増え、自分の手で調整をする楽しみは失われ、また専用パーツの増加、統一性のない規格、互換性のあるパーツの激減など、とにかく一般ユーザーが触れられない箇所が次々と増えている。結局はサードパーティーメーカーの締め出しとも言える構図が続いている。

『カスタムクランクだけでもこれ以上の種類が選択できた (C)Retrobike』

『ポールやグラフトン、クーカなどメーカーが乱立したのも事実 (C)Retrobike』
一昔前はといえば、小さなパーツメーカーの乱立もあったが、ハブ、ブレーキレバーや変速機などもサードパーティーを選ぶ事ができたし、またカラーリングも豊富にあり、個性あふれるセッティングが可能だった。自分だけの一台、そんなことが当たり前のように行われていたのがMTB全盛期の1980年台から1990年台にかけてだ。もちろん性能的にはメーカーに劣る物も多かったが、それでも自転車を乗るだけではなく、それを弄る楽しみ、カスタマイズする楽しみがそこにはあった。それこそレース会場に出かければ、個性あふれるマシンに溢れ、実用性重視の自分なりの工夫が随所にそこここに見られたものだ。かくいう筆者もリアディレーラーを自作して遊んでいた。

『一昔前のカスタマイズは個性とセンスだった (C)Yeti』
それが最近では同じマシンと同じパーツ構成のマシンが多く並び、金銭的に余裕のある人達が高級パーツを盛っていることがカスタマイズとなっている。遊び心というよりはひけらかしに近い物が多く、実力に伴わない過剰な装飾品と成り下がっていることもしばしばだ。これも一つの楽しみ方ではあるのだが、本来のカスタマイズとは意味合いが違い、どちらかと言えば着せ替え人形に近いだろう。ただこれも、選択肢がなくなってしまった弊害とも言えるだろう。
”できる限りの利便性を考え”ということで完組ホイールや、コンポーネントの統一(ミックスコンポの排除)を掲げたメーカー、”簡素化”とも言えるこの考えはそれは果たして誰にとってのものなのだろう?ショップ側は確かに作業がよりシンプルに効率化は図られたように思える。しかしそれと同時に技術を持ちあわせないショップが増えたのもまた事実。ホイールのフレ取りが出来ない、ディレーラーの調整ができない、そんな店員がいるショップさえプロショップとしてまかり通ってしまう。たまたま誰も対応出来ない日に当たると無駄足になることさえある。そして触れる人間がいたとしても最新コンポ以外は扱えない、つまりは”コンパチ(互換性)”全盛期のものは全くわからない、その工具の扱いさえ知らないというケースが多い。またそれが現行の規格で存在していたにしても扱えないのだ。(スレッド式のヘッドセットやスクエアテーパーのBBを外せなかったなどというケースもよく聞く)
結果において言えばこの様になった責任のその多くはメーカー側にある。ユーザーは必ずしも最新を求めるわけではない。気に入ったものを長く使いたい、そういったユーザーも多く存在するのだ。それでは儲からないからと、次々と行われる新規格の開発と一部規格の廃止、アフターパーツ供給の停止、補修パーツのストック廃止、このようなことを口実として買い替えに誘おうとするメーカーの多さを見ると、一体どこを見て商売をしているのかと疑いたくなることもしばしばだ。 メーカー主導開発品を押し付けられるだけのエンドユーザーの構図はもういらない、ユーザーフレンドリーで、よりユーザーの声を拾い上げ、ユーザー側のニーズに寄り添ったスタンスもメーカーには見せてほしいと思う。それこそがメーカーの”遊び心”であり、エンドユーザーへの”思いやり”ではないのだろうか。
H.Moulinette