 |
 |
ルコックスポルティフは1882年、フランスのロミリー・シュル・セーヌで誕生しました。
創始者はエミュール・カミュゼ。そのスタートは競技用ランニングシャツを主力としたメリヤス衣料製造業でした。
当時はウェアにブランドを付けることが一般的ではなく、スポーツクラブから発注されたカミュゼ社のウェアにもブランドマークは付けていませんでした。
やがてカミュゼ社のウェアはクオリティの高さで徐々にファンを増やし、1948年にはそのクオリティの証として「鶏」のマークを付けました。「鶏」はフランスの国鳥であり、古来フランス地方に移住を始めたガリア族の旗印が「戦う鶏」でした。つまりフランス人にとって神聖で特別な意味をもっているシンボルだったため、さまざまなスポーツにおけるナショナルチームがそのシンボルマークとして「鶏」を採用していました。
そうしてルコックスポルティフブランドは「鶏」マークとともにスポーツシーンに浸透。ツール・ド・フランスやオリンピック、サッカーワールドカップ、テニス4大大会など、その活躍の場を広げていきました。 |
 |
 |
|
 |
|
 |
 |
1951年、世界最高峰の自転車レース、ツール・ド・フランスにルコックスポルティフのニットジャージが採用されました。
参加する12の各国ナショナルチームに所属するそれぞれ10人のサイクリスト、全120人の選手たちが着るウェアを製作して欲しいというのが、最初の「栄誉ある注文」でした。
サイクリング用のジャージは、雨や日焼け、選手の汗などに耐えるものでなければなりません。新しいワークショップでカミュゼと50人の従業員による特別チームが開発に当たり、厳しいテストが繰り返されました。
1951年当時のレースでは、ボベ、コッピ、ヴァン・スティーンベルゲン、クブラーといったスター選手がルコックスポルティフのジャージを着ました。チャンピオンたちは襟の内側にルコックスポルティフのトリコロールのラベルのついたジャージをまとって、フランス中を駆け抜けた。それがルコックスポルティフとツール・ド・フランスの出逢いであり、それから約40年に渡るパートナーシップの始まりだったのです。
世界最高峰のレースは、ルコックスポルティフの製品にとっては最高のテストの場です。ジャージのクオリティはツールの主催者や選手たちに満場一致で賞賛されました。
その後、Terrot(テラー)、Arliguie(アルリギー)、Motobecane(モトベカン)、Mersier(メルシエ)などの強豪チームが出現してからも、ルコックスポルティフはツールで採用されるウエアの唯一のサプライヤーとしてその名を確固たるものとし、自転車レースの世界において信頼を得たのです。
時を同じくして1955年にはサッカーのルコックスポルティフチームがフランスチャンピオンとなり、1955年にはフランスナショナルチームがルコックスポルティフを採用。青を意味する「レ・ブルー」の誕生です。以降、テニス、ゴルフなどのスポーツにおいてもルコックスポルティフはプレイヤーに認められ、愛されるウェアとして成長してゆきます。 |
|
|
 |
|
 |
 |
 |
| 三角形にかたどられた初期のルコックスポルティフのロゴ。当時は朝日の上に鶏が右向きに配置されている |
| |
 |
| ワールドカップに参加する各国のサッカーナショナルチームにユニフォームを製作した |
| |
 |
| ツール・ド・フランス5勝を記録したエディ・メルクス |
|
1882年
フランスで最も古いスポーツ用品メーカーが誕生。エミール・カミュゼ氏がロミリーシェルセーヌで名門スポーツクラブのために競技用ウェアのメリヤス衣料製造業を始める
1948年
創業開始から66年、ついにルコックスポルティフが誕生。3角形のロゴが登場する
1951年
世界最高峰の自転車レースであるツール・ド・フランスでカミュゼ社のウェアを採用
1955年
サッカーワールドカップのフランスナショナルチームがカミュゼ社のウェアを着用
1960年
ローマオリンピックでフランス代表の陸上チームが採用
このオリンピックのテレビ放映によって、ルコックのロゴが多くの人に認知されることとなる
1966年
ツール・ド・フランスにおいてルコックのロゴマークをジャージに付けることが認定される
サッカーワールドカップでフランス、ソ連、ハンガリーの代表チームがルコックを着用
1968年
シンプルになったルコックロゴが登録される。また同年、輸出商品のために新しい抽象的なデザインのロゴが開発される
1974年
エディ・メルクスがルコックを着て、5度目となるツール・ド・フランスを制覇
1985年
ベルナール・イノーが5度目となるツール・ド・フランスを制覇 |
|
|
|
 |
 |