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2011/4/1 15:00

五十嵐丈士が振り返る被災地の状況 前編

誰がこれほどまでの事態を想像することができただろうか?


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家がまるごと流されている
『家がまるごと流されている』
地震の大きさを物語っている道路
『地震の大きさを物語っている道路』
津波によって打ち上げられた木々
『津波によって打ち上げられた木々』
死者、行方不明者は日を追って増え続け、その全貌は未だもって明らかにならない。二次災害、三次災害、そして日本に限らず世界中に与える経済的な打撃。ここから立ち直るのは容易ではないことは、誰もが分かっていること。それでも、我々は少しずつでも立ち上がって前に進んでいかなければならないのだ。

自転車は、下り坂では勝手に進んでいくが、どんなに遅くても、笑ってペダルを踏みさえすれば、どんな上り坂でも越えていくことができる。

3月11日(金)14時46分

つい4日ほど前にあったマグニチュード7.2。最大震度5の地震を家にいて感じていた自分は、「またか」と、いつものように考えていた。もちろんパソコンで作業していた手は止まったが、まさかそのまま窓の外に裸足で飛び出すなんて思ってもみなかった。

揺れは激しさを増し、「家が潰れる」と思った自分は、窓から庭に飛び出したのだった。大地は唸りを上げ、地鳴りとも言える異様な音を立てていた。地面が波打ち、家はゆらゆらと揺れていた。犬は怯え、カラスが騒いでいた。立っていられないとはこのことで、震える膝のままうずくまり、泣き叫ぶ犬をなだめながら揺れが止むのを待つしかなかった。
 
その間、数分。どのくらい続くのか、見当もつかなかった。揺れがおさまってしばらくしてふと我に返った。唯一持って出た携帯で、すぐさま地震情報を検索したところ、赤や黄色に染まった東日本、最大震度が7、大阪でも震度4と、日本の半分が揺れていた。2階にいた母と妹が降りてきて、散乱した食器など見向きもせず、今起こった事態の把握で精いっぱいだった。

すぐさま津波警報が発令され、やはり外に出てきていた近所の人と相談し高台に避難。直線距離で海から5kmはあるところ、まさかとは思ったが怖かった。この地震がおさまったそばからひっきりなしに余震が続いており、避難すると決めて一番先に心配したのは自転車だった。先日のシンガポールのレースのときに持って帰ってきた新車のFuji Altamira2.0。家が潰れ、これが潰れたらレースを走れない。そう思った自分は、何を思ったか庭の外に出した。津波が来たら家の中でも外でも同じだろうに。

とにかく、急いで家にあったりんごと水、パソコン、英語の辞書(翻訳の仕事の真っ最中だった)を車に積み、母と妹、犬を連れて車を走らせ近くの高台まで避難した。通帳とか、財布とか、現金とか、他にも持っていかなければならないものはいくらでもあったが、それに気付くのはだいぶ後になってからだった。人間、いざというときは何も考えられないものだと思い知った。この時届いた友達からの一通のメールには、自分の無事を報告し、「今から非難します」と打っただけだった。

高台に避難してもなお余震は続いていた。丘から海の方を見るが、津波らしきものは見えない。自分たちのところは当然大丈夫だろうと感じ始めていた。まだまだ寒い3月の半ば、外で突っ立っていてもしょうがない。大丈夫だったら帰ろうと、そう思い始めていた。高台には既に数台の車が避難してきており、その中の一台、運送屋さんの運転手が携帯でテレビを見せてくれた。そこには、リアルに映し出される津波。いますぐ目の前で起こっていることだとはすぐには受け入れられなかった。

とりあえず家に帰る。食器を片づける。ひっくり返った家の中を片付けるが、その間も震度5以上の余震がひっきりなしに続き、割れた食器を手に持ったまま家の外に逃げては、揺れがおさまったらまた家の中に戻って片付けの続きを…の繰り返しだった。すでに通信網は寸断され、電気も止まっていた。かろうじて水は出ていたが、そんなことはどうでもよかった。

家にあるありったけの食糧、水、そしてラジオやらライトやらをバックに詰め込んで車に乗り込み、いつでも逃げれる準備はしていた。しかし、夜になり、さすがにこの状態で家の中で(しかも一階で)寝る気には到底ならなかった。余震が怖いという母と妹はずっと車の中にいた。その夜は結局、先ほど避難した高台で一夜を明かすことに。出し忘れたNovatecの決戦車輪も一応外に出しておいたが、犬は置いてきた。

妹の携帯のテレビ、ラジオがその時の最大の情報源。大変なことが起こっている。一番心配だったのは、同じ町内で海の目と鼻の先に住む自転車仲間の存在だった。つい先週まで一緒に練習をし、そして明日土曜日もまた一緒に走る予定だった。携帯電話が使えず、安否を確かめる術もない。自分の心は既に明日の練習会の集合場所へと向かっていた。

3月12日(土)

翌週、プロツアーの初戦となるはずだった埼玉県の熊谷クリテリムを想定した実践練習のため、この日から集合場所は変わっていた。今までの集合場所は、名取市の閖上というところ。海の目と鼻の先で当然水没していた。みんな無事だったらここに集まるはず。通信網が途絶えてしまった今となっては、それが唯一安否を確認する手段であると確信し、集合場所に向かった。

自転車乗りは、いつどんな時でも自転車に乗るものだと思っていた。しかし、どうやら未曾有の事態にのんびり自転車に乗っているのはどうやら自分だけのようだった。ましてや練習をしようとまでも考えていたのは。しかし、その考えは時間の経過と共に情報が入り、自分のこの目でその惨状を目の当たりにするに連れて消え失せていくのであった。

練習場所に誰一人として来なかったため、父の職場がある空港近くへ向かったが、津波の水と泥で職場までは近付くことすらできなかった。昨夜帰ってこなかったのでまさかとは思ったが、朝早く空港から歩いて帰ってくる人を見て、大丈夫だろうと思った。

川沿いに自転車を走らせ、その同じ自転車仲間の家があるところへ向かったが、その先は…、家が家の上に乗っかり、高さ十数メートルはある川に掛かった橋の上の車でさえも流されてしまっていた。そして目の前に続く瓦礫の山、山、山…。水に浸かった車の群れ…。一体何が起こったのか。想像すらできない。ただ現実に目の前に広がる光景だけが、全てを物語っているのだった。

家に帰った自分は、昼ごはんを食べ、再び自転車にまたがった。毎日走っていた沿岸部の練習コースは当然通れないため、大きな国道へ。仙台市から南に走る国道6号線。徐々に海側へと切れ込んでいく国道には津波の波が押し寄せた痕跡があった。歩道の鉄策がなぎ倒され、巨木が根こそぎ横たわっていた。車が家屋に突っ込み、ところどころ残っている家屋は、土台がむき出しになっており、まるで海に浮かぶ無人島のように見えた。

以前家庭教師で受け持っていた生徒も海の近くに住んでいた。そこからは海は見えなかったので、さほど心配すらしていなかったが、国道を越えてちょうどその家の周辺まで波が押し寄せていた。地図で見たら、海から僅かに2kmほどしかなかった。家が無事ということしか分からず、瓦礫と土砂で近づくことすらできなかった。

地震発生後3日目

津波によってその被害は文字通り一線を画す。道路の海側と陸側では様相は全く異なるのだった。そしてこと自分の家に限って言えば、ライフラインが止まっている以外は、何の被害もない。しかし、状況は日を追うごとに悪化する。次第に被害の実態が伝わり出し、その後数日はパニックになっていたように思う。ガソリン、食糧の買いだめに走り、どこもかしこも長蛇の列ができていた。自分も例外ではなく、個人商店の小さな店を訪ねては、野菜や保存食を買って回った。電車も動かないし飛行機も飛ばない。ガソリンが無くなり、ほとんど全ての物流がストップするなかで、唯一自転車が移動手段としての役割を果たすことになる。地震の余波は全国にまで広がっていく。その経済的打撃は日本のみならず世界規模になることを知ったのは後々のことだったが。

しかし、こうした回りの状況を横目に、そして、たった一日で変わり果てた地元の姿がすぐ目の前にあったにも関わらず、頭の中では次のレースまでのトレーニングスケジュールと移動手段のことを考えていたのだった。

翌週走る予定だった熊谷のレースは埼玉県と近いため自走でもどうにかなるが、4月1日からのツアー・オブ・タイランドはどうしようか?仙台空港が壊滅状態となった今、ガソリンもなく、交通網の復旧も見通しが立たないときてる。やはり自走するしかないのだろうか?いや、それよりもなによりも、ステージレースに向けての追いこみで一番練習しなければいけない時期に差し掛かっていたのに。事態が落ち着くまでは乗り込むしかないのだろうか?知人・友人、そして親戚に自分の安否を伝えるために奔走した地震後の二日間は、携帯のつながる福島に二時間半かけて走っても、少なくともLSDにはなる。…と、まだトレーニングの一環だと考えていた。

しかし、頭ではそう思っていても、実際には違った。

自転車選手の格好で、見るからに高そうなハイエンドのロードバイクで被災地を走ることに罪悪感を感じた。かと言って、人気のない山道や、酷い被災地に背を向けて内陸へと自転車を走らせることでさえも、現実から目をそむけているようで後ろめたく感じた。まともに自転車に乗れる状態ではなくなっていた。

刻一刻と伝わる被災地の状況、朝起きて寝るまで、いや寝ながらもずっとラジオを聞いていた。自転車で走っている時も、母親の新聞配達の代わりをしている時も。

地震発生以降不眠不休で続けられる必死の救助活動。自分が自転車で走り回ってお腹いっぱいごはんを食べて寝ている間も、救助を待つ避難者がいる。それとは対照的に増え続ける犠牲者の数。“おにぎり一つを子どもと三人で分けて食べました”という、すぐ近くで起こっている避難生活。恐怖をおして続けられた福島原発の放水作業。こうした情報を聞くたびに、涙が流れてきた。ただ、ご飯を食べているだけで、涙があふれた。

電気も水もない生活は何ら苦ではない。しかし、同じこの空間で飢えと寒さに苦しむ人々、今なお救助を待つ高齢者や子供がいるという事実がただただ耐え難かった。もはや自分が自転車選手であることなどとっくに頭の中から吹き飛んでいた。何かをしなければ。何ができる?同じ被災地にいながらにして自分ができることを模索する日々が始まった。

text&photo:Takeshi Igarashi
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