2010/5/14 19:04


私はイタリア語が話せないので、レースコメンテーターが何を言っていたのか正確に伝えることはできない。しかし、彼は何度も「アラシロ!」と言っていたので、2010年ジロ・デ・イタリア第5ステージでの沖縄出身ライダーの堂々とした勇ましい奮闘が注目されずに終わったことはないと思って間違いない。
堂々とした、大きな、記憶に残る走りだった。新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)だけが逃げを仕掛けたのではないが、彼は正々堂々とそれを突き動かしたエンジンだったし、彼の仕事量は逃げの仲間の仕事量を小さく見せた。
ステージ終盤、3人の逃げ集団の先頭にいた新城がラスト1.5kmで力を振り絞ったとき、私はコメンテーターがこう言っているように聞こえた。
「アラシロ、ビューティフル!」
間違ってるかもしれないが、そう信じたい。新城がまったく私心なく、まったく疲れることなく仕事するのを私は見ていたので、この常連の年老いた自転車ロードレースジャーナリストは自分の目に涙を浮かべたのを認めるのがうれしいのだ。
逃げを打つのは、それだけの話だ。チャンスを与えられれば、誰だってできる。もしできても、ほとんどの選手は引き戻されるまで数kmしか逃げられない。逃げを打って、先頭に留まるのは別の話だ。逃げ集団は必ず疲れるので、プロトンはラスト数kmで逃げの選手たちより数km/h速く突進するのだ。
しかし、逃げを打って、先頭に留まり、他の選手よりも懸命に働くこと、今日は自分の力を示す日にすると決断すること、ずっと先頭に留まって逃げ切るために自分を犠牲にして働くことは、まったく別の話だ。これは確かな正直さ、確かな無私の努力の感覚を必要とし、アマチュア自転車ロードレースでもほとんど見られることなく、ましてやプロのプロトンでもほとんど見られない。確かに、人生のあらゆる場面でもほとんど見られないのだ。
しかし、それが昨日の新城がやったことだ。ステージ優勝はできなかったが、彼の…私は軽々しくこの言葉は使わないのだが…「英雄的な」奮闘を通して、ヨーロッパ中で新たに大勢のファンを勝ち取ったのだ。実際、優勝したピノーも新城が最強だったし、「勝つべきだった」とステージ後に認めていた。
自転車ロードレースは、実際に勝っていない選手がむしろ、しばしばモラル上の勝者となる独特のスポーツだ。彼は人間の精神の高潔さ、我々の多くの中で眠っている可能性を示し、特にこの現代で我々を定義しているとも言える身勝手さを超越したから、「勝つ」のだ。彼は自転車がただの機械以上の、より個人的な表現の手段、ほぼコミュニケーションの道具となるように走っている。自転車は他でもない我々自身の力によって進み、おそらく楽器を除いては、他の道具とは異なる高潔さの表現を可能とする。シルヴァン・シャヴァネル(フランス、クイックステップ)はある程度その高潔さを持っている。フィリップ・ジルベールもだ。それは、ほとんど別世界のものなのだ。
終盤の数kmで先頭にいる新城を何度も見ること、そしてラスト1kmでプロトンに捕まらないと決心し、勝利の可能性を大きく減らすことになると解りながらも、風を全面に受け先頭に留まり走り続けている彼を見た時、私はアジア人選手、日本人選手があのように走っていることが意味するものに心を打たれた。まさに最高のスポーツにおける最高のレースのひとつ、2010年ジロ・デ・イタリア第5ステージのたった1日、あの数時間で、新城幸也はたったひとりでアジアの自転車競技を向上させ、アジア人選手に対する多くのヨーロッパ人や北米人の長年の認識に異議を唱えたのだ。
昨日、新城は新たな時代の訪れとなった。おそらく、アジアの自転車競技もまた新たな1日が始まったのだ。
新城、ビューティフル!
text:Lee Rodgers
translation:Tatsuya Mitsuishi
photo:(c)Tim De Waele


エディターズコラム by リー・ロジャース
新城幸也、新たな時代の訪れ
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| 『新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)のアタックをきっかけに逃げが決まる』 |
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| 『アグレッシブな走りを見せる新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)』 |
堂々とした、大きな、記憶に残る走りだった。新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)だけが逃げを仕掛けたのではないが、彼は正々堂々とそれを突き動かしたエンジンだったし、彼の仕事量は逃げの仲間の仕事量を小さく見せた。
ステージ終盤、3人の逃げ集団の先頭にいた新城がラスト1.5kmで力を振り絞ったとき、私はコメンテーターがこう言っているように聞こえた。
「アラシロ、ビューティフル!」
間違ってるかもしれないが、そう信じたい。新城がまったく私心なく、まったく疲れることなく仕事するのを私は見ていたので、この常連の年老いた自転車ロードレースジャーナリストは自分の目に涙を浮かべたのを認めるのがうれしいのだ。
逃げを打つのは、それだけの話だ。チャンスを与えられれば、誰だってできる。もしできても、ほとんどの選手は引き戻されるまで数kmしか逃げられない。逃げを打って、先頭に留まるのは別の話だ。逃げ集団は必ず疲れるので、プロトンはラスト数kmで逃げの選手たちより数km/h速く突進するのだ。
しかし、逃げを打って、先頭に留まり、他の選手よりも懸命に働くこと、今日は自分の力を示す日にすると決断すること、ずっと先頭に留まって逃げ切るために自分を犠牲にして働くことは、まったく別の話だ。これは確かな正直さ、確かな無私の努力の感覚を必要とし、アマチュア自転車ロードレースでもほとんど見られることなく、ましてやプロのプロトンでもほとんど見られない。確かに、人生のあらゆる場面でもほとんど見られないのだ。
しかし、それが昨日の新城がやったことだ。ステージ優勝はできなかったが、彼の…私は軽々しくこの言葉は使わないのだが…「英雄的な」奮闘を通して、ヨーロッパ中で新たに大勢のファンを勝ち取ったのだ。実際、優勝したピノーも新城が最強だったし、「勝つべきだった」とステージ後に認めていた。
自転車ロードレースは、実際に勝っていない選手がむしろ、しばしばモラル上の勝者となる独特のスポーツだ。彼は人間の精神の高潔さ、我々の多くの中で眠っている可能性を示し、特にこの現代で我々を定義しているとも言える身勝手さを超越したから、「勝つ」のだ。彼は自転車がただの機械以上の、より個人的な表現の手段、ほぼコミュニケーションの道具となるように走っている。自転車は他でもない我々自身の力によって進み、おそらく楽器を除いては、他の道具とは異なる高潔さの表現を可能とする。シルヴァン・シャヴァネル(フランス、クイックステップ)はある程度その高潔さを持っている。フィリップ・ジルベールもだ。それは、ほとんど別世界のものなのだ。
終盤の数kmで先頭にいる新城を何度も見ること、そしてラスト1kmでプロトンに捕まらないと決心し、勝利の可能性を大きく減らすことになると解りながらも、風を全面に受け先頭に留まり走り続けている彼を見た時、私はアジア人選手、日本人選手があのように走っていることが意味するものに心を打たれた。まさに最高のスポーツにおける最高のレースのひとつ、2010年ジロ・デ・イタリア第5ステージのたった1日、あの数時間で、新城幸也はたったひとりでアジアの自転車競技を向上させ、アジア人選手に対する多くのヨーロッパ人や北米人の長年の認識に異議を唱えたのだ。
昨日、新城は新たな時代の訪れとなった。おそらく、アジアの自転車競技もまた新たな1日が始まったのだ。
新城、ビューティフル!
text:Lee Rodgers
translation:Tatsuya Mitsuishi
photo:(c)Tim De Waele
1 コメンテーター: kuribo-sapporo コメント日: 2010/05/14 20:02:25
リーさん。素敵な記事をありがとう。ヴェロニュースの読者描き込みにもありましたよ。
今日の本当のヒーローは新城だ。最後の1キロで加速して3人を引っ張った。そして後続のプロトンに捕まるのを防いだ。すごいゴールだったよ。
その通りだね。私は最後の50キロしか見てなかったけど新城は逃げで一番引いていたように見えたぜ。優勝したピノーは「新城のスプリントのタイミングが早すぎた」と言っていたが・・・違うぜ、ジェローム、もし新城があのときにあのスピードで逃げなかったらお前も飲み込まれていたんだよ。可笑しいぜ。新城はジロでの日本人最初の勝者になるだろうし、ヨーロッパのグランドツアーとか大きなレースで勝利を挙げる最初の日本人になるさ。
私もその通りと頷いてます。もうメチャクチャ感動しました。
2 コメンテーター: hakohako コメント日: 2010/05/14 22:43:23
話はちょっとそれちゃいますが、3月に熊谷の実業団のクリテリウムを見に行ったのですが、
レース中盤でのリー・ロジャースさんの逃げも、とってもカッコ良かったですよ!!!
3 コメンテーター: train コメント日: 2010/05/16 19:13:12
残念ながら仕事で見られなかったけど、このコラムは本当にうれしく読みました。読むだけで新城の走りが目に浮かんで、涙が滲むほどでした。
これを日本人ではない人が書いているところも、また誇らしいですよね。








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