2009/7/4 14:23


チームコロンビア-HTCはバランスのとれたメンバーでツールに出場する。しかし、残念ながらアンドレ・グライペル(ドイツ)が今年の出場メンバーから外れることが、先日発表された。グライペルは今年1月のツアー・ダウンアンダーで負傷した後、数ヶ月間レースから離れていたが、今年すでに10勝を挙げている。グライペルの代わりに選出されたのはベアト・グラブシュ(ドイツ)だ。世界TTチャンピオンでもあるグラブシュは、今大会3ステージ用意されているタイムトライアルで活躍を見せてくれるだろう。
今年のツール・ド・フランスに出場する全チームの中で、チームコロンビア-HTCはおそらく最も優れているだろう。このアメリカのチームは、今年全レースで圧倒的な力を見せており、多才なチームはツールの全ステージで戦う用意ができている。
間違いなく現役最速のスプリンターのマーク・カヴェンディッシュ(イギリス)とオールラウンダーのキム・キルシェン(ルクセンブルク)に加え、メンバーにはジョージ・ヒンカピー(アメリカ)が含まれている。ヒンカピーはカヴェンディッシュやチームの他の若手ライダーの親友であり、よき相談相手でもある。また、プロトンの中で最も経験豊富な選手のひとりでもある。
ヒンカピーはクラシック・スペシャリストだが、なんとツールにはこれまで13回出場している。ニューヨーク生まれのヒンカピーは、2日夕にモナコのヨットハーバーで行われたチームプレゼンテーションで「チームはここで本当に僕を必要としているし、彼らのために最高の仕事をしたいと思っている。ゴールではカヴェンディッシュを、そして総合争いの選手たちもアシストする。そして、自分自身のためにステージ優勝したいね。僕がツールのステージを勝ったのは2005年と昔のことだからね」と意気込みを語っていた。
ヒンカピーは、USポスタルやディスカバリーチャンネル時代のかつてのエースで、ツールに戻ってきたランス・アームストロングと会えることを喜んでいる。「長い年月の中で、今回が自分のチームに彼がいない初めてのツールになるんだ。彼の復帰に興奮しているよ。彼がいつもの彼自身に戻ることを願っているし、彼がどのように走るのか見るのを本当に楽しみにしている。もう一度、彼はツールで勝てると思うよ。間違いなくね。彼はガンから復活したんだから、今回の方が簡単なはずだよ!」とアームストロングへの思いを明かしていた。
ベルンハルト・アイゼル(オーストリア)
ベアト・グラブシュ(ドイツ)
ジョージ・ヒンカピー(アメリカ)
キム・キルシェン(ルクセンブルグ)
トニ・マルティン(ドイツ)
マキシム・モンフォール(ベルギー)
マーク・レンショー (オーストラリア)
マイケル・ロジャース(オーストラリア)
バイク:Scott(スコット)
コンポーネント:Shimano
メインスポンサー:コロンビア・スポーツウェアー
チームは1988年に元世界チャンピオンであるハニー・クイパーが、シュトゥットガルト市からのスポンサーを得て設立した。チームはシュトゥットガルト・メルクス・ゴンサーと呼ばれていた。1990年にはチーム名はシュトゥットガルト・メルセデス・メルクス・プーマとなり、1991年にはドイツ・テレコムがメインスポンサーとして加入し、テレコム・メルセデス・メルクス・プーマとして知られるようになった。1991年にはウォルター・ゴードフルートをチームマネージャーとして招いた。ゴードフルートは1991年のパリ・ルーベ勝者であるマルク・マディオを含む数名の選手と契約を結んだ。
まもなくテレコムはドイツの最強チームとなり、1992年にイェンス・ヘップナーとクリスチャン・ヘン、1993年にはエリック・ツァベル、ロルフ・アルダグ、ステファン・ウェーゼマン、そして1994年にはヤン・ウルリッヒが加わった。
チームが初めてツール・ド・フランスの招待を受けたのは1995年であったが、Tモバイルの選手は3人だけの混成チームとしての出場であった。ロルフ・アルダグ、ウド・ボルツ、イェンス・ヘップナー、ウラディミール・プルニコフ、エリック・ツァベル、そしてオラフ・ルードヴィッヒが初めてツール・ド・フランスに出場した選手となった。
1996年と1997年のシーズンはチームの活躍も頂点に達した。ビャルヌ・リースが1996年ツール・ド・フランスで優勝し、22歳のヤン・ウルリッヒが総合2位でゴールした。エリック・ツァベルはスプリント賞であるグリーンジャージ6連覇の最初のタイトルを飾った。1997年のツール・ド・フランスはウルリッヒの活躍が目覚ましく、ツール・ド・フランスを圧倒的な強さで制覇した。テレコムは1997年にチーム優勝も獲得している。ビャルヌ・リースはアムステル・ゴールド・レースに勝ち、ウド・ボルツはドーフィネ・リベレ、エリック・ツァベルはミラノ・サンレモにそれぞれ勝利した。
ヤン・ウルリッヒは1998年のツール・ド・フランスでマルコ・パンターニに続く総合2位でゴールしたが、1999年のツール・ド・フランスは膝の怪我により出場できなかった。1999年ツール・ド・フランスに不出場の後、ウルリッヒは1999年のブエルタ・エスパーニャで優勝し、タイムトライアル世界選手権でも優勝を収めた。
2000年にはエリック・ツァベルがワールドカップの総合優勝に輝き、ミラノ・サンレモとアムステル・ゴールド・レースの優勝も手に入れた。一方のウルリッヒは2000年のツール・ド・フランスではランス・アームストロングに次ぐ総合2位でゴールをした。ウルリッヒはツール・ド・フランスでの敗退をその年のオリンピックのロードレースで金メダル、タイムトライアルでは銀メダルを取ることで返した。
2001年、ウルリッヒはまたしても2001年のツール・ド・フランスで総合2位に甘んじ、一方のツァベルはグリーンジャージを獲得した。2002年にはカザフスタンの選手であるアレクサンドル・ヴィノクロフがステージレースのパリ・ニースで勝利したことでランクを挙げ、2003年にも連覇した。彼はパリ・ニースでの勝利に加え、同じ年にアムステル・ゴールド・レースとツール・ド・スイスでの勝利も飾った。
2002年にはウルリッヒは競技内外の薬物検査でエクスタシーの陽性反応が検出され、6ヶ月の出場停止処分を受けた。その結果、Tモバイルとの関係がぎくしゃくしたため、彼はチームを離れコーストへ移籍した。コーストは経営が破たんして解散になり、代わりにビアンキがメインスポンサーとして引き継いだ。ウルリッヒを欠いたチームはヴィノクロフがチームリーダーとなって2003年のツール・ド・フランスを戦った。彼は総合3位でゴールし、総合2位のウルリッヒを僅かに下回ったに過ぎなかった。
2004年には1年間ビアンキに追放されていたヤン・ウルリッヒが復帰して、チーム名もTモバイルに変更した。彼はチームに復帰したが、前年のような活躍はできず、期待された成績は残せなかった。2004年のツール・ド・フランスではウルリッヒは総合4位でゴールしたが、チームメートのアンドレアス・クレーデンが総合2位という結果になった。Tモバイルは2004年のツール・ド・フランスではチーム優勝を収めた。
2005年のツール・ド・フランスでは、またしてもウルリッヒは実力差が埋められず、期待外れの総合3位に終わった。さらに悪いことには、チームメートのアレクサンドル・ヴィノクロフは最終ステージであるシャンゼリゼでの勝利を含む、2度のステージ優勝を挙げて総合5位でゴールした。自分自身のために走る機会は今後も訪れないと見たヴィノクロフはチームを離れ、自らがツール・ド・フランス勝利のチャンスを掴みにいった。2006年のシーズンはヴィノクロフはリバティ・セグロス・ウルトに移籍した。2006年は13年間もチームで選手を務めたエリック・ツァベルも新しく設立されたチーム・ミルラムに移籍した。シーズンの終わりには、チームマネージャーのウォルター・ゴードフルートが辞任し、オラフ・ルードヴィッヒがチームマネージャーとなった。
チームは2006年のツール・ド・フランスでヤン・ウルリッヒとオスカル・セビリヤのオペラシオン・プエルト関与が発覚してツール出場停止になり、解散した。7月9日、チーム監督のルディ・ペヴナージュはスペインのドーピング事件との関与が疑われたため解雇された。ウルリッヒとセビリヤを欠いたにもかかわらず、2006年のツールでは、アンドレアス・クレーデンが総合3位、マティアス・ケスラーとセルゲイ・ゴンチャールがそれぞれステージ優勝を収めたことで、チーム優勝を果たした。
2007年にはボブ・ステイプルトンがチームを引き継ぎ、ロルフ・アルダグ、アラン・パイパー、そしてトゥリスタン・ホフマンを監督に迎えてチームの立て直しに取りかかった。このチームの立て直しに際し、多くの選手が他チームに移籍した。ステファン・ウェーゼマン、アンドレアス・クレーデン、そしてマティアス・ケスラーらは皆チームを去り、または契約が更新されなかった選手もいた。Tモバイルの選手がクリーンであることを証明するため、新しい包括的なアンチドーピングシステムが導入された。チーム再建の努力にもかかわらず、元選手であったエリック・ツァベル、ロルフ・アルダグ、ブライアン・ホルム、ビャルヌ・リース、ウド・ボルツ、そしてクリスチャン・ヘンらが皆、Tモバイルに所属していた時期のドーピング行為を認めたために、チームのイメージはさらに汚れることになった。
Tモバイルはチームの選手パトリック・シンケヴィッツがチームのキャンプ中にテストステロンの陽性反応が検出されたため、ついに解散に追い込まれた。2007年11月、ドイツテレコムAGはプロサイクリング界へのスポンサーから即時撤退することを宣言した。
チームはメインスポンサーを欠いたまま存続し、チーム・ハイロードの名で2008年のシーズンに入った。チームは2008年2月に登録国をドイツからアメリカに変更した。2008年6月、チーム・ハイロードはコロンビア・スポーツウェアーが今後3年間のメインスポンサーとなることを発表した。結果として、マーク・カヴェンディッシュがステージ4勝、キム・キルシェンがマイヨジョーヌを3日間着用したことで、コロンビアにとっては賢明な投資になった。
text:Simon Reid and Valentino Sebic
translation:Yoko Nakano and Tatsuya Mitsuishi
photo:(c)Tim De Waele


ツール・ド・フランス2009出場チーム紹介
チームコロンビア-HTC:バランスの取れた多彩なタレント集団
![]() |
| 『マーク・カヴェンディッシュ(イギリス、 チームコロンビア・ハイロード)』 |
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| 『ジョージ・ヒンカピー(アメリカ、 チームコロンビア・ハイロード)』 |
![]() |
| 『ベアト・グラブシュ(ドイツ、 チームコロンビア・ハイロード)』 |
今年のツール・ド・フランスに出場する全チームの中で、チームコロンビア-HTCはおそらく最も優れているだろう。このアメリカのチームは、今年全レースで圧倒的な力を見せており、多才なチームはツールの全ステージで戦う用意ができている。
間違いなく現役最速のスプリンターのマーク・カヴェンディッシュ(イギリス)とオールラウンダーのキム・キルシェン(ルクセンブルク)に加え、メンバーにはジョージ・ヒンカピー(アメリカ)が含まれている。ヒンカピーはカヴェンディッシュやチームの他の若手ライダーの親友であり、よき相談相手でもある。また、プロトンの中で最も経験豊富な選手のひとりでもある。
ヒンカピーはクラシック・スペシャリストだが、なんとツールにはこれまで13回出場している。ニューヨーク生まれのヒンカピーは、2日夕にモナコのヨットハーバーで行われたチームプレゼンテーションで「チームはここで本当に僕を必要としているし、彼らのために最高の仕事をしたいと思っている。ゴールではカヴェンディッシュを、そして総合争いの選手たちもアシストする。そして、自分自身のためにステージ優勝したいね。僕がツールのステージを勝ったのは2005年と昔のことだからね」と意気込みを語っていた。
ヒンカピーは、USポスタルやディスカバリーチャンネル時代のかつてのエースで、ツールに戻ってきたランス・アームストロングと会えることを喜んでいる。「長い年月の中で、今回が自分のチームに彼がいない初めてのツールになるんだ。彼の復帰に興奮しているよ。彼がいつもの彼自身に戻ることを願っているし、彼がどのように走るのか見るのを本当に楽しみにしている。もう一度、彼はツールで勝てると思うよ。間違いなくね。彼はガンから復活したんだから、今回の方が簡単なはずだよ!」とアームストロングへの思いを明かしていた。
チームコロンビア-HTC ツール・ド・フランス2009出場メンバー
マーク・カヴェンディッシュ(イギリス)ベルンハルト・アイゼル(オーストリア)
ベアト・グラブシュ(ドイツ)
ジョージ・ヒンカピー(アメリカ)
キム・キルシェン(ルクセンブルグ)
トニ・マルティン(ドイツ)
マキシム・モンフォール(ベルギー)
マーク・レンショー (オーストラリア)
マイケル・ロジャース(オーストラリア)
チーム紹介
登録国:アメリカバイク:Scott(スコット)
コンポーネント:Shimano
メインスポンサー:コロンビア・スポーツウェアー
チームは1988年に元世界チャンピオンであるハニー・クイパーが、シュトゥットガルト市からのスポンサーを得て設立した。チームはシュトゥットガルト・メルクス・ゴンサーと呼ばれていた。1990年にはチーム名はシュトゥットガルト・メルセデス・メルクス・プーマとなり、1991年にはドイツ・テレコムがメインスポンサーとして加入し、テレコム・メルセデス・メルクス・プーマとして知られるようになった。1991年にはウォルター・ゴードフルートをチームマネージャーとして招いた。ゴードフルートは1991年のパリ・ルーベ勝者であるマルク・マディオを含む数名の選手と契約を結んだ。
まもなくテレコムはドイツの最強チームとなり、1992年にイェンス・ヘップナーとクリスチャン・ヘン、1993年にはエリック・ツァベル、ロルフ・アルダグ、ステファン・ウェーゼマン、そして1994年にはヤン・ウルリッヒが加わった。
チームが初めてツール・ド・フランスの招待を受けたのは1995年であったが、Tモバイルの選手は3人だけの混成チームとしての出場であった。ロルフ・アルダグ、ウド・ボルツ、イェンス・ヘップナー、ウラディミール・プルニコフ、エリック・ツァベル、そしてオラフ・ルードヴィッヒが初めてツール・ド・フランスに出場した選手となった。
1996年と1997年のシーズンはチームの活躍も頂点に達した。ビャルヌ・リースが1996年ツール・ド・フランスで優勝し、22歳のヤン・ウルリッヒが総合2位でゴールした。エリック・ツァベルはスプリント賞であるグリーンジャージ6連覇の最初のタイトルを飾った。1997年のツール・ド・フランスはウルリッヒの活躍が目覚ましく、ツール・ド・フランスを圧倒的な強さで制覇した。テレコムは1997年にチーム優勝も獲得している。ビャルヌ・リースはアムステル・ゴールド・レースに勝ち、ウド・ボルツはドーフィネ・リベレ、エリック・ツァベルはミラノ・サンレモにそれぞれ勝利した。
ヤン・ウルリッヒは1998年のツール・ド・フランスでマルコ・パンターニに続く総合2位でゴールしたが、1999年のツール・ド・フランスは膝の怪我により出場できなかった。1999年ツール・ド・フランスに不出場の後、ウルリッヒは1999年のブエルタ・エスパーニャで優勝し、タイムトライアル世界選手権でも優勝を収めた。
2000年にはエリック・ツァベルがワールドカップの総合優勝に輝き、ミラノ・サンレモとアムステル・ゴールド・レースの優勝も手に入れた。一方のウルリッヒは2000年のツール・ド・フランスではランス・アームストロングに次ぐ総合2位でゴールをした。ウルリッヒはツール・ド・フランスでの敗退をその年のオリンピックのロードレースで金メダル、タイムトライアルでは銀メダルを取ることで返した。
2001年、ウルリッヒはまたしても2001年のツール・ド・フランスで総合2位に甘んじ、一方のツァベルはグリーンジャージを獲得した。2002年にはカザフスタンの選手であるアレクサンドル・ヴィノクロフがステージレースのパリ・ニースで勝利したことでランクを挙げ、2003年にも連覇した。彼はパリ・ニースでの勝利に加え、同じ年にアムステル・ゴールド・レースとツール・ド・スイスでの勝利も飾った。
2002年にはウルリッヒは競技内外の薬物検査でエクスタシーの陽性反応が検出され、6ヶ月の出場停止処分を受けた。その結果、Tモバイルとの関係がぎくしゃくしたため、彼はチームを離れコーストへ移籍した。コーストは経営が破たんして解散になり、代わりにビアンキがメインスポンサーとして引き継いだ。ウルリッヒを欠いたチームはヴィノクロフがチームリーダーとなって2003年のツール・ド・フランスを戦った。彼は総合3位でゴールし、総合2位のウルリッヒを僅かに下回ったに過ぎなかった。
2004年には1年間ビアンキに追放されていたヤン・ウルリッヒが復帰して、チーム名もTモバイルに変更した。彼はチームに復帰したが、前年のような活躍はできず、期待された成績は残せなかった。2004年のツール・ド・フランスではウルリッヒは総合4位でゴールしたが、チームメートのアンドレアス・クレーデンが総合2位という結果になった。Tモバイルは2004年のツール・ド・フランスではチーム優勝を収めた。
2005年のツール・ド・フランスでは、またしてもウルリッヒは実力差が埋められず、期待外れの総合3位に終わった。さらに悪いことには、チームメートのアレクサンドル・ヴィノクロフは最終ステージであるシャンゼリゼでの勝利を含む、2度のステージ優勝を挙げて総合5位でゴールした。自分自身のために走る機会は今後も訪れないと見たヴィノクロフはチームを離れ、自らがツール・ド・フランス勝利のチャンスを掴みにいった。2006年のシーズンはヴィノクロフはリバティ・セグロス・ウルトに移籍した。2006年は13年間もチームで選手を務めたエリック・ツァベルも新しく設立されたチーム・ミルラムに移籍した。シーズンの終わりには、チームマネージャーのウォルター・ゴードフルートが辞任し、オラフ・ルードヴィッヒがチームマネージャーとなった。
チームは2006年のツール・ド・フランスでヤン・ウルリッヒとオスカル・セビリヤのオペラシオン・プエルト関与が発覚してツール出場停止になり、解散した。7月9日、チーム監督のルディ・ペヴナージュはスペインのドーピング事件との関与が疑われたため解雇された。ウルリッヒとセビリヤを欠いたにもかかわらず、2006年のツールでは、アンドレアス・クレーデンが総合3位、マティアス・ケスラーとセルゲイ・ゴンチャールがそれぞれステージ優勝を収めたことで、チーム優勝を果たした。
2007年にはボブ・ステイプルトンがチームを引き継ぎ、ロルフ・アルダグ、アラン・パイパー、そしてトゥリスタン・ホフマンを監督に迎えてチームの立て直しに取りかかった。このチームの立て直しに際し、多くの選手が他チームに移籍した。ステファン・ウェーゼマン、アンドレアス・クレーデン、そしてマティアス・ケスラーらは皆チームを去り、または契約が更新されなかった選手もいた。Tモバイルの選手がクリーンであることを証明するため、新しい包括的なアンチドーピングシステムが導入された。チーム再建の努力にもかかわらず、元選手であったエリック・ツァベル、ロルフ・アルダグ、ブライアン・ホルム、ビャルヌ・リース、ウド・ボルツ、そしてクリスチャン・ヘンらが皆、Tモバイルに所属していた時期のドーピング行為を認めたために、チームのイメージはさらに汚れることになった。
Tモバイルはチームの選手パトリック・シンケヴィッツがチームのキャンプ中にテストステロンの陽性反応が検出されたため、ついに解散に追い込まれた。2007年11月、ドイツテレコムAGはプロサイクリング界へのスポンサーから即時撤退することを宣言した。
チームはメインスポンサーを欠いたまま存続し、チーム・ハイロードの名で2008年のシーズンに入った。チームは2008年2月に登録国をドイツからアメリカに変更した。2008年6月、チーム・ハイロードはコロンビア・スポーツウェアーが今後3年間のメインスポンサーとなることを発表した。結果として、マーク・カヴェンディッシュがステージ4勝、キム・キルシェンがマイヨジョーヌを3日間着用したことで、コロンビアにとっては賢明な投資になった。
text:Simon Reid and Valentino Sebic
translation:Yoko Nakano and Tatsuya Mitsuishi
photo:(c)Tim De Waele

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